ヨガや瞑想を始め終わりに毎回「アウム」を3回づつ唱えます。サンスクリット語の「アウム」は「自覚・意識」と訳され、
A=創造、クリエーション
U=持続、メンテナンス
M=破壊
という壮大な創生のサイクルをあらわすことで「自覚・意識」として解釈される言葉だそうです。
もともとの文字からアルファベットではOMとかAUMとか様々な書き方があるのと同じように日本語でもアウム、オーム、オウムなどと書くことができるでしょう。
この「アウム」は宗教の枠を超えて、仏教、ヒンドゥー教、密教などで幅広く使われている大切なマントラ(お経)です。
日本でも、法事などでお坊さんが唱えるお経を耳でよく聞いていると繰り返し繰り返し節々にオームという音が聞こえてきます。
ヨガではこの意味深い「アウム」をとりあえずは「音」として、外に息を出すときのアゥ~という音と口をつぐんでンム~というときの音、そのときの体の中に感じる振動が自分の意識や体をチューニングしてくれると考えています。
ヨガをすること、ヨガとしてアウムを唱えることは全く宗教的な束縛はなく、自分の体に意識を持ってくるために使うものとしてとらえてもらえば大丈夫です。ただ、そこから深く哲学的な理解を深めようと思ったときに今挙げたような意味もあるということです。
日本語でのあうんの呼吸の「あうん」や、仁王様の口の形、狛犬のほえる声など日本でも様々なところにアウムの音が隠されているようです。
ただひとつ本当に残念なのは日本ではある宗教団体によってこの言葉を使われたために、「オウム」という言葉が自体の意味を離れて、とても悪い、怖い、危険なイメージとともに知られてしまっているようなところがあります。逆に言えばそれだけ意味合いの深くパワフルな言葉だから選ばれたということになりますが、アウムという言葉自体をあまり理解されない状況を作っていることは残念です。
ただ、私達は「極悪な犯罪者は寿司がだいすきだった」からじゃあ、明日から自分は寿司は食べない。という行動をとるのではなく、寿司自体が犯罪者ではないこと、たまたまその犯罪者が好きなものは寿司であったということ、そして自分は寿司が好きでも犯罪者ではないことに信念を持っていればいいのではないかと考えています。
何人かに「アウムを唱えることは怪しいのではないか」とご指摘を受けたので一応考えを書いておきます。
アウム唱のとき、ヨガを始める前とあとで自分のバイブレーションの違いを感じてみると興味深いです。ヨガをやったあとはすーっと安定して心地よかったりします。
こんなサイトも見つけました。
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