(許し)
今回の宿題の一つである「許す」ということ、嫌なことをした人を許すのは簡単なことではないですが、許すことによって人は成長できるのではないでしょうか。
許せないというネガティブな感情を長い間抱えると、そこから逃れられなくなり、人生の重荷になってしまいます。許すというのは、相手がやったことを許すのではなく、わだかまりや嫌な感情があることを許すという意味だと思います。許すことは、自分のための行為であり、許す対象は、相手ではなく自分ということ。しかし、相手の気持ちになって考えることで、見えてくることもあるので、宿題①のように「相手の身になって感じる」ことも大切だと思います。さらに大事なのは、自分にも責任があったとして自分を決して責めないこと。完璧な人間はいませんから。人を許すことは、簡単なことではないし、時間がかかることもありますが、許すことができたら胸のつかえが取れてとてもすっきりします。
さらに、霊性の面から見ると、嫌な相手であっても自分と相手を分断している境界を消し去り、自分達という意識に拡げていく。なかなか難しいことですが、相手に対して感謝と愛おしく想う愛のエネルギーを向けることによりアナハタチャクラの成長にも繋がっていくものと感じます。
皆さんは、今回のアナハタチャクラを学び、どのようなことを感じましたか?
Hari Om Tat Sat (聖なるオームとその存在に栄光あれ)
光雄さん、ちあきさん、ありがとうございます。こうして思ったことを人とシェアできる。すでに良い進化だと思います。光雄さんのように率先して皆さんの役に立てる方法を考え、とりくんでくださること、まさにアナハタですし、ちあきさん、ゆきさん、文ちゃん、皆さんオープンに意見をいえること、とっても大切だとおもいます! 人に意見を言えない、人前で質問できない=人から見下されないかの不安または自分の評価に焦点が留まっているマニプラのアンバランスですもの。どっちみち皆50歩100歩、色々な葛藤しながら歩んでいて皆努力してるんだから、me がwe になれば光雄さんのおっしゃる通り許すこともスムーズにできますよね。 許す をテーマにした時、許す以前に、その一つの出来事の注目すべきポイントの見極めが大切な場合もあります。昨日、会話で頼んでいたことと違う結果をもたらした相手をどう許すか。という質問がありました。 許す以前にその結果は自分の捉え方を変える事で納得がいく類のことなのか、問題の所在を相手に確認し、ミスを正してもらうことが必須なのか。いきなり全てをアナハタで許す前にアギャ、で全体にとってベストな行動は?大切なのは何かを見極めることがまず先決。その上で起こった出来事に対して相手を許す、憤りを感じた許すが始まると、思います。
いつも読ませてもらっています。私も心の中にいろんな気づきやモヤモヤが出てきますが、言語化がとても上手ですごいなぁと思って読んでいます。 許す の捉え方、私も似たような事を感じました!相手あってのネガティブだけど、外側ではなく自分の内側にスポットライトを当てて、自分中のネガティブな感情を許す(me)→weへと自然に繋がっていくんですよね? 私はどうしても許せない相手を許せた時、自分の中にネガティブな感情がある事に気づき→認め(許し)→感じ切る うちにスッと消え、同時に愛情が湧いてきた事があります。きっと滞っていたエネルギーが流れた瞬間なのかな?と。 簡単ではないけど、私も皆さんのようにコツコツ練習していきたいです!